鳴かず飛ばず

「鳴かず飛ばす」と聞くと、どのような印象を受けるでしょうか?

辞書を見ると二つの意味があります。ひとつは「①将来の活躍に備えて行いを控え、機会を待っているさま」で、もうひとつは「②何の活躍もしないでいるさま」と解説されています。

まったく意味が異なる解説なのですが、どちらかというと「何の活躍もしないでいるさま」の意味で使うことが多いのではないでしょうか?

実は、これは中国の故事で、前々回の「鼎の軽重を問う」で登場した春秋五覇のひとり、楚の荘王の話が元になったものです。楚の荘王は故事でよく出てくる人物になります。

楚の国の荘王は、即位して3年間、政治をほったらかして怠けていました。

ある日、家臣の五挙が荘王に問いました。「ある鳥が、3年の間、泣きもせず、飛びもせずにいました。この鳥はどんな鳥だと思いますか?」

荘王は「その鳥は、一度飛べば天高く飛び、一度鳴けば人を驚かせるであろう」と答えました」

その後、荘王は3年間見定めていた悪臣を処分するなどし、楚の国力を増大させ、天下に覇を唱えるまでになりました。

元の意味は、辞書の解説にあった「①将来の活躍に備えて行いを控え、機会を待っているさま」に近い内容でした。

織田信長も若いころは「尾張の大うつけ」と言われる行動をしていましたが、桶狭間の戦いの後、天下人になりましたので、なんだか似ているように見えますし、もしかしたら荘王の故事を真似ていたのかも知れません。

敵に敵対視されることを避けるため、わざと目だないようにすることは、現在のビジネスでも参考になる故事かも知れません。

令和3年5月27日

覇道と王道!?

前回、「鼎の軽重を問う」について書きましたが、その時に春秋五覇の一人である楚の荘王が出てきました。

春秋五覇とは、中国の春秋時代、周王朝に代わって天下を取り仕切った5人の覇者を指します。(5人が誰なのかは文献によって違いがあります)

メインとして挙げられるのは、晋の文公、斉の桓公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王の5人となります。どの覇者も有名で、多くの故事が残されています。中でも、晋の文公、斉の桓公は実績的に見ても他の覇者を圧倒する代表格になります。興味があれば、この2人について調べてみてください。

さて、覇者とは何でしょうか?覇者が力によって行う政道を覇道と呼びます。それに対する政道が王道になります。

覇道と王道は中国の政治思想になります。「王者」とは殷王朝、周王朝時代から続く封建制の諸侯(日本でいえば大名)に君臨する権威者(日本でいえば天皇)を指します。それに対し、「覇者」とは殷周時代の後の時代になる春秋時代に、周王に代わって諸侯を統制した実力者(日本でいえば征夷大将軍)のことを指します。そのため「覇者」は力の際立っている諸侯になります。

王道は王者が行う徳を政治原理とした道徳的な政治であり、覇道とは春秋時代の力を持った覇者が行なった武力による権力政治になります。儒教の始祖として有名な孔子は徳を政治原理とする仁政を理想としていましたので、「王道」を理想的な政治とし、「覇道」をその逆としていたようです。

会社経営に置き換えれば、「徳」による経営を行うか、「力」による経営を行うか、のようになると思いますが、どちらの方が良いのでしょうか?

王道」の政治を行う前提として、社会の経済的安定が挙げられています。殷王朝、周王朝の安定期は経済的に安定していたので、「王道」による政治が機能しましたが、周王朝末期には王朝の力が弱まり、諸侯による争いが繰り広げられることになりました。その結果として登場したのが「覇道」になります。

会社の経営や社会環境が安定していれば、王道の経営、つまりは徳による経営が良いと思われますが、会社の経営や社会環境が厳しければ、覇道の経営、力による経営が求められるかも知れません。

果たして、今の社会環境はどちらの経営が良いのでしょうか?

中国の歴史を学ぶと、経営についても参考になることが色々とあると思いますので、興味がある方は本を紐解いては如何でしょうか?

令和3年5月26日

鼎の軽重を問う!?

先日、仕事先で「鼎の軽重を問う」という言葉がでました。社長が後継者に対して話をしていたのですが、なかなか古風な故事が出てきたな!と感心しました。

辞書を引くと「統治者を軽んじ、これを滅ぼして天下を取ろうとする。人の実力を疑って、その地位をくつがえそうとする。また人の能力を疑う。」という意味が解説してありました。

私は古代中国の歴史本を読むのが好きなのですが、この由来は春秋時代に遡ります。

春秋五覇の一人として知られる「楚の荘王」が周の王孫満に面会した時、周王室が保有している「鼎」の重さを尋ねました。

「鼎」は、周王朝以前の王朝である殷王朝の時代から受け継がれた宝器で、王権の象徴とみなされていたものです。その重さを尋ねるということは、「それを持ち帰ること=周王朝の王位を奪うこと」と言う意味となり、王朝を奪う恫喝と言えます。

王孫満は、恫喝に怯むことなく「周王朝が現在あるのは徳によるものであり、鼎の軽重によるものではない。周王朝は衰えているが、鼎が周王朝にあるということは徳は衰えていない」と答えて、荘王は兵を引くことになりました。

普段、使う言葉ではありませんが、経営者として知っていて良い言葉かも知れません。社長が後継者に対して「まだ鼎の軽重を問うのは時期が早い」のように使うのが使用例でしょうか。

実は春秋戦国時代には、現代にも伝わる故事がたくさんあります。

自分自身の勉強を兼ね、機会を見てご紹介していきたいと思います。

 

令和3年5月25日